情報素材料理会<第102回> 

「人生100年時代」に、
社会は、人は、

どう対応すべきか



講師:西村 周三 氏

医療経済研究機構所長
京都大学名誉教授
NPO法人エビデンスベーストヘルスケア協議会 特別顧問
 

 今、マスメディアでは、人生100年時代という言葉が人気を博しているようです。テレビのコマーシャルでも、書店に並ぶ本でも、人生100年というキーワードは人気者です。最近では、リンダ・グラットン/アンドリュー・スコットの『ライフ・シフト~100年時代の人生戦略~』という本がベストセラーとなり、新しい働き方のテキストとして話題を集めています。今回は、その人生100年の時代に、社会はそして個人は、どのように対応していくとよいのか、西村周三先生にお話していただきました。

 
 
【西村】「人生100年時代」が、もう夢の話ではなく、ごく当たり前の現実といえる時代になってきています。それにより、これまで常識だったことがどんどん変化してきていて、社会も企業もいままでの制度では対応できなくなってきている。制度そのものの設計を大きく変える必要が出てきています。
 人が100歳まで生きる時代に適応するためには、どのような制度設計の変更が必要なのでしょうか。これは簡単に正解の出る話ではないですが、私見としてこれまで考えてきたことをもとに、いくつか提案してみたいと思います。
 

 
 はじめは、「高齢者の定義を変える」という話です。みなさんおそらく納得されると思いますが、高齢者が昔より相当若返っています。だいたい昔より10歳は確実に若返っていると言われています。だからいまの75歳は昔の65歳。まだまだ現役で働ける年齢です。
 私は、現在73歳で、子供らとしゃべっていると、みんな私のことをジジイだと思っている。でも、こんな感じで相当元気に現役として働いています。同じような世代のいろいろな会社の偉いさんも、とにかく間違いなく元気で、昔そろそろ引退してもらおうかと話していた65歳という年齢が75歳での話に対応する感じになっています。
 そこで、そろそろ高齢者の定義を変えようという話。
 寿命の延びの現実に向かい合い、高齢者の定義を65歳から70歳ないし75歳に変えるべきではないかと思うのです。
 ところで、この話をするためには、その前提として、元気な高齢者の就労機会を拡大する、ということが重要になってきます。これは、国も後押ししている話ですが、なぜここが重要かというと、ご承知の通り子供の数がどんどん減ってきている。残念ながら、極端に言うと、これからは企業に若い人はきません。ところが、企業は気づかないのですね、子供の数が減っているということに。そうでしょ? そこが一番難しい。本当に減っているのですよ。
 減っている、で、どうする?
 学者は年寄りをとったらよろしいとか、女性をとったらええやん、とか言うけど、そうはうまくいかへんというのが、企業の本音ですね。
 ただし、実際に若者はいないので、これからは多かれ少なかれ、年寄りが働かないと動かない社会になっていきます。もちろん、体力的にも違うので、仕事の編成、誰がどういう仕事をやるかといったやり方を大きく変えていかないと難しいですが、定年後の年寄りがどれぐらい健康かという話はいろいろな角度から論文がありまして、面白いデータが出てきています。70歳を越した人は週3日くらいの仕事なら病気にならないけど、5日もやったら病気になるとか。歳をとると労災事故で亡くなっている人が増えるとかいう、そんなん当たり前やないかっていうような研究もある。とはいえ、本当はこういうテーマで研究をしっかり続ける必要があって、働いている場合と働いてない場合で、死亡率がどう違うかというような話は、これからとても大事なんですね。
 あと、実は女性の労働力については、今は60代の女性の就業率は、男性と比べると、まだとても低いので、こういう方々の就業を促すことも大切です。とはいえ、すでにボランティアをやっておられる方も多いので、その活動は尊重しつつ、そうでない方々の就業が促進できたらと思います。こういったことは、ある企業では日常的になっていますが、それが多くの会社に簡単に普及しないのです。労働時間のシフトの仕方も工夫しないといけないので、うちの業種は別や、という企業も多いです。
 たとえば、生命保険会社は気づいていて、ほとんど女性でもっている。でも他の会社では、生命保険会社とは仕事が違うから、うちは無理だとかおっしゃるのですね。でも今どき、肉体労働ばかりの企業などほとんどありませんから、女性をもっと上手に活用すべきではないでしょうか?
 

 
 また、よくある話ですが、一般論として日本の人口はこうなっています、高齢化が進んでいます、女性の労働力が大事です、というような一般論は、すっと入ってきますが、すっと抜けていきます。それを、リアルに、頭の中で、あの女性とあの女性とあの女性をうちで採用したらどうなるか、というように、我がこととして考える仕組みに持っていくにはどうしたらよいかと知恵を絞るのは、これから実に大事な対応です。
 何度も言いますが、高齢社会になって若い人の数は減っていきます。特に、これから2025年を過ぎると急激に減っていきます。見かけでは全体の人口はあまり変わりませんが、若者が減って、どんどん年寄りが増える。ただし、その年寄りも実は2035年を越したら、減ります。大体、団塊世代がそこらへんで亡くなる。で、そういうマクロの大きな話を、我が会社のこと、あるいは自分のこと、我がこととして考えるにはどうしたらよいか。それがとても重要なのですが、これにはいろんな知恵が必要です。
 

 
 寿命が延びているのはみんな知っています。しかし実は、亡くなる年齢の分散の幅が縮まってきています。昔は若く死ぬ人が多くて山の裾野が広かったのですが、今は若いうちはなかなか死なないので、亡くなる前後の山の幅がずっと狭くなっています。ここをリアルに実感として捉えるのは難しいですが、大切です。
 ある程度の年齢の女の方の多くは、私が「あなたは100歳まで生きるよ」と言っても、例外なく「私はそんな長生きしません」とおっしゃいます。なぜかというと、美人薄命でありたいという意識もありそうですが、やはり自分の親を見ていて、自分も同じぐらいの寿命ではないかと考えているのだと思います。
 でも、これからは、自分の親が何歳で死んだから、私はそれにプラス20年は生きるだろう、という発想が普通にできるような社会的な仕掛け作りがとても大事です。
 その仕掛けを作らないと、いくら一般論で、寿命が延びています、あなたのお母さんの寿命より20年延びていますといっても、私だけは違う、ということになる。その思い方をどうやって変えていくかというのが大事ですね。
 もう、人生100年は、他人事ではなく、「我がこと」なのだという前提で、生き方を考えていくべきなのではないかと思います。
 ところで、私たちのこのNPO(※)の理事4人で出した『わかっちゃいるけどやせられない。ちゃんとわかればやせられる』というタイトルの本があります。タイトルは長いですが、その前半は文系、後半は理系の考え方なのではないかと、私は思っています。私自身は「わかっちゃいるけどやせられない」派で、「ちゃんとわかればやせられる」派とは微妙に違います。やっぱりいくらがんばってもダメな人がいるという現実はあり、まずそれを踏まえておく必要があるのでは、と思っています。さきほどは100年時代を「我がこと」として考えようと言いましたが、一方で「我がこと」としてだけを考える落とし穴もありそうです。
 たとえば認知症にならないようにするにはどうしたらよいか、知恵はたくさんあります。それはもちろん知るべきです。でも、いくらがんばって予防をやっても、なる時はなる。そうしたら、なった時どうする? ということも視野に入れておきたいのです。
 ひたすら自分が認知症にならないよう願うだけでいいのかということと、自分が発症しなくとも、発症した人の身持ちをどう思いやるか、どう「共生」していくか。社会的につながっていくか、そこらへんも、100年時代を生きるためのみんなの課題ではないかと思います。いつ何が起こるかは、本当はその時にならないとわからないのです。
 

 
 これは余談ですが、最近、原発事故・大震災・水害などなど、想定外のことがたくさん起きていますよね。そうした想定外のことが起きた時にどうする? という話をいろいろな形でクリアに考えましょうよという問題提起をしている研究者がいます。それと同じように、私のこの100年時代の場合は、100歳まで生きたら想定外がいっぱい起きますよ、と伝えておきたいのです。
 30年ぐらいは想定外のことはあまり起きないけれど、100年も生きたらきっと起きますよ、と。その想定外に対してどういうふうに備えるかというのは、たいへん大事な話だと思っています。
 実は、私は先ほどから昔の経済学と最新の行動経済学をちょっと対比してお話してきているのですが、昔の経済学は、「事前に」こういうことが起きたらどうしようというモデルを突き詰めて合理的に考える経済学でした。しかし、そこには、思いもかけないことが起きたらどうしようという話はないわけです。思いもかけないことが起きたらと言われても、当たり前ですが、そんなことを事前に細かく考えることはできないのです。
 で、私の行動経済学者としての答えは、こうです。
 

 
 従来の経済学は、こういうことが起きたらこうする、ああいうことが起きたらああするという風に事前にみんな備えるんですよ。その通りにやったらいいでしょうと。
 しかし、思いもかけないことが起きたら、自分の行動そのものを変えるということの練習をしましょうというのが、私の発想です。
今話題の『ライフ・シフト』というベストセラーの中で著者のグラットンさんが言っているのですが。一番、大事なポイントは「変身資産」というキーワードです。ただ、変身資産といってもあまり具体的に書いていないので、イメージがちょっとしにくいのですが、状況に合わせて自分を変えていくことのできる力ということでしょうか。この変身資産をどうやって私たちは作れるか、これは、人生100年時代においてはとても大事な能力です。
 簡単にわかりやすく言うと、「こういう風に決めたら私はこの信念で最後までとことん行く!」というのは人生100年時代ではもう無理やと。大体わかりますよね。100年時代ですから、生まれてから死ぬまで、ひとつの信念でずっといけるっていうのは、まず不可能。だから適応する能力を身につけるのが、これからは非常に大切なのだと思います。
 あと、最後の話は若干個人的な意見。たとえば、「こういう風な生活をしたらあなたはいつ、どんな風に死ぬとかがちゃんと予測できます」とか言われたら、みなさんはそれを聞いて嬉しいですか? 嬉しい人は理系。別に、そんなん知らせてもらってもどうってことないやないかという人が文系。これ、個人的な意見です、ここだけは。
 私はあまり、人生何が起きるかわからんというほうが面白いです。で、しかもさっき言った想定外が起きるわけですから。これからも想定外のことが起きる可能性がありますね。そうしたらその時の話は大体キーワードがあって、「レジリエンシー」っていうそうです。困難な状況に陥った時にもかかわらず、うまくその環境に適応する力のことを「レジリエンシー」というそうなのですが、どちらかというと理系的な概念ですね。笑えるのは、土木の先生からすると、レジリエントって何ですか? と訊いた場合、もっと起きないように強固な堤防を作ろうっていう発想になるそうです。文系は、それだけではダメなんじゃない? と思うのですが、これは余談。
 今日は、ここらへんでおしまいにします。  

※NPO法人 エビデンスベーストヘルスケア協議会


編集後記にかえて
菊池夏樹
高松市菊池寛記念館名誉館長
(株)文藝春秋社友

 
  私の年齢は、西村先生の研究材料に近づきつつあります。先生の話から、列車の引き込み線をイメージしました。昔は、高齢者になれば、脇道に逸れて朽ちるのを待つのが普通の考えでした。しかし、若者の走るレールに並行して伴走するという考え方もあります。年寄りでも、いつでも「変わるぞ!」という準備をしているということです。若者のレールを奪うのではなく、若者をサポートする役目は、年寄りの生きがいにもなりますからね! 若者ひとりに、老人サポーターひとり、これも変身資産でしょ?