情報素材料理会<第94回> 

人生100年時代に
知って欲しい筋肉のこと 

 

講師:森谷 敏夫氏

京都大学名誉教授
京都産業大学・中京大学客員教授
NPO法人NSCAジャパン参与
NPO法人EBH推進協議会理事

 

 
 

 

司会:菊池 夏樹 氏

高松市菊池寛記念館名誉館長
(株)文藝春秋社友

 運動生理学の専門家である森谷敏夫先生が、『京大の筋肉』に引き続いて『京大の筋肉2』を出版されることになりました。筋肉を使うということがいかに脳を刺激するか、そして、その脳を刺激するだけでなく、心臓、呼吸循環器系、骨、神経、あるいはエネルギー代謝すべてを動員して筋肉を動かしているメカニズムから、高齢者の方でも短時間で効率的なトレーニングの仕方、また、その筋肉をつくり、維持するための食事や栄養バランスについても網羅されています。
講演会では、人生100年時代を迎えるにあたり、知って欲しい『筋肉』のことについておおいに語っていただきました。

 
【菊池】今日のテーマは、「筋肉」です。筋肉というのは一体どういうものかを語っていただきます。森谷先生、よろしくお願いいたします。
 
 
【森谷】私は「筋肉は偉大な臓器である」と思っています。今日は皆さんに、それを理解していただけると良いなと思っています。
 私が南カリフォルニア大学で博士課程に入ったとき、師事したのは、筋肉の生理学の世界的な権威の先生でした。その先生が、老年期学のセンターにもいたので、私もその当時から老化現象に関して非常に興味を持ちました。そうして今、現代社会では老年学が非常に話題になる時代になってきたわけです。
 寿命のことを言えば、平均寿命は男女とも長くなり、健康寿命も延びているのですが、その差は全然縮まらない。女性の場合、この世を去るまでに約12年介護を受けるということになります。問題は、経済産業省の試算によりますと、皆さんが一生で使う医療費の70%は、この時期に使われるということです。今の医療費はシャンパングラス型の医療費といわれています。つまり20~50代は、シャンパングラスの細い部分なのです。50や60でも、それほど医療費はかからない。自分でまだ仕事もできますから。ところが70ぐらいになって介護を受け始めます。そうなると、どうしても家族の支援が必要になり、当然、医療費もかさんで医療経済的には非常に難しい問題となります。政府も、この健康寿命をできるだけ平均寿命に近づけるよう延伸することを考えているのですが、仮に消費税を20%に上げたとしても、おそらく医療費は破綻することになると思われます。そのうえで、私が筋肉に興味を持っている理由についてお話します。





 この【図】のように、要介護を受ける方は、ほぼ直線的に伸びています。男性は脳卒中が1位の原因で、女性ではここ数年は認知症です。
 そして骨折・転倒12%、関節疾患11%で、これ、いわゆるロコモティブシンドローム、つまりロコモといわれる運動器の疾患によるものなのです。両方足すと23%になり、単独の脳卒中や認知症よりも、さらに大きな要因ということになります。つまり、骨とか筋肉の劣化をいかに防いで、転倒・骨折しないように、あるいは関節などを痛めてもしっかりと、リハビリができるか、というところに焦点をあてると、この要介護の数はかなり減らせる可能性があるのです。それで、私は筋肉に非常に興味を持っているわけです。
 
 
 歩くスピードは年齢とともに遅くなりがちですが、このことについて2011年、非常に大規模な研究の結果が米国で出ました。対象は3万4000人で、最長21年追跡しました。この間1万7000人が亡くなりましたが、血糖値、コレステロール、血圧、肝機能などとともに、歩くスピードも一緒に測っています。データを精査して、75歳と、その10年後の85歳までを見てみると、同じ75歳なのに男性で歩くスピードがかなり落ちていた人で85歳まで生きたのは19%しかいないのに対し、健脚だった方は87%の人が生き延びたということです。女性も同じく、スピードが遅いと35%、健脚ならば91%ということで明らかに、歩くスピードが遅い人は、確実に早く亡くなったということです。ではなぜ、歩くスピードが人の余命を決定づけるのか。歩くにはエネルギーが必要で、安静にしているときの3倍のエネルギーを筋肉にずっと送り続けなければなりません。私たちには、腰から下に「第二の心臓」とも呼ばれる筋肉があり全身の筋肉の6割以上がここにあります。歩くなどして筋肉がグイグイ動くときは、下半身にある血液が全部心臓に戻るように構造的にできています。つまり歩くスピードが遅くなってくると、心臓に戻っていく血液の量も激減して弱くなるから、死期も迫ってくるということになります。だから、歩くときには速く歩いてしっかり筋肉を鍛えましょう。階段があったら、エレベーターでなくこちらを選べば、自分の健康を維持・増進するための知的なエクササイズとなります。
 


 しかしながら、年とともに筋肉はなくなります。その理由のひとつは、食事で摂るたんぱく質が少なくなるからではないかということで、ある実験について話しましょう。
 20歳の人と平均年齢70歳の高齢者とで、典型的なウエイトトレーニングを行いました。若い人は筋トレをやると、どんどん筋肉のたんぱく質が合成されていきます。一方、高齢者はほぼ横ばい。つまり、年を取って一生懸命トレーニングをやっても無駄、というデータです。ところが、時間栄養学といって、摂取のタイミングが重要なのです。運動直後に必須アミノ酸を20gとるようにしたところ、若者は、先ほどよりも2倍近いたんぱく合成が起こり、6時間後にほぼ横ばいとなります。高齢者は、3時間後までは反応ゼロ。ところが面白いことに6時間後に測定しますと、若者を追い抜いて筋肉のたんぱく合成は十二分に起こります。つまり、年を取っても、とりあえずトレーニングをして、すかさず必要な必須アミノ酸をしっかりとると、このように老若男女全く関係なく、筋肉ではたんぱく質合成が起こります。
 さて、筋肉を使わない状態が長いと、いろいろなホルモンが出ますが、そのひとつとして、骨の形成を阻害する物質ミオスタチンの存在がわかりました。筋肉をしっかり使っているとミオスタチンは出ず、骨の維持ができるということになります。
 

 厚生労働省のデータを見ると、食事の量は毎年減ってきています。終戦翌年の1900キロカロリー食べていた日本人の20歳以上の平均が、今は1800キロカロリー。今皆さんが食べている量は終戦翌年を下回っています。だから、決して食べ過ぎなどでなく、動かないから太ったということです。
 それを明らかにしたのが、ハミルトンという人によるNEAT(非運動性熱産生)というコンセプトで、一日の4割近いエネルギーは実は何気ない日常の生活活動で消費されているということです。立ったり座ったり、ちょっと移動したりすることは、たいしたエネルギーの消費にはなりませんが、ちりも積もれば、と計算すると、2000キロカロリーの男性の一日の4割だと、これだけで800キロカロリー消費します。ところが、一日中座ってNEATが激減して、たとえば一日に400キロカロリーしか消費しなかった場合、一年間続けると20kg、体に脂肪がつく。だから、太ってきた理由は、座る時間が長くなってほとんど活動しない、結果としてあまり食べなくなったということで、結局は、食べていないのに、食べ過ぎと同じ状態となるわけです。だから意識するのは食事の量じゃなくて、動く量なのです。
 

 アメリカの宇宙飛行士は、2週間で糖尿病になって帰ってきます。世界で一番健康が管理された宇宙飛行士ですが、2週間無重力の中にいると一日で一年分の筋肉がなくなります。ということで、このフライトで筋肉は14~15%なくなります。糖を代謝する筋肉という臓器が2割近くなくなる。おまけにその2割のなくなった筋肉以外の筋肉は一度もエネルギーを使わない。だから地球に帰ってきて糖負荷テストをすると、血糖値が糖尿病の患者さんどころじゃなくて、うんと悪いわけです。つまり、私からすれば、糖尿病というのは筋肉の代謝疾患なのです。
 このように、運動しない人は、これからどんどん糖尿病になりやすくなってしまう。だから運動するしかないわけです。年とともにすい臓も弱ってきますので、よく動いて、筋肉で糖を消費すれば、すい臓は酷使されなくて済むのです。
 

 脳由来神経栄養因子(BDNF)という、記憶学習能力を司る海馬に特別に出てくる遺伝子があって、皆さんの学習能力や記憶力をアップさせます。ラットに2週間運動させると、明らかにこの遺伝子が海馬というところに増えるということがわかっています。
 これを、ヒトで証明できたのは2010年、ごく最近です。
 BDNFは、うつ病とか2型糖尿病の患者さんの場合、低下しています。糖尿病の患者さんがアルツハイマーで4.6倍も多く亡くなったという久山町研究はこれに当てはまります。糖尿病の人はなぜBDNFが低いかというと、運動不足の人が非常に多いからです。同様に、うつの症状のある方も運動不足が多いので、認知症になりやすいのです。
 そこで、動静脈にカテーテルという細い管の医療器具を入れて測りました。3カ月間ジョギングする前と後との安静時の状態を比較すると、BDNFは大脳から約3倍以上も発現していました。一方、ストレッチのグループでは、全く変わりませんでした。
 つまり高齢であっても、認知機能、あるいは脳の神経細胞は数を増やすことができます。運動は、特異的に海馬という、学習したり新しいことを覚えたり、記憶したりしないといけない、そういうインタラクティブなところに対して、非常に有効に働くのです。
 

 さて、これだけ筋肉にとって良いことばかりの運動ですが、高齢の方の中にはできない人もいます。寝たきりの人もいます。私は、事情があって運動ができない人に何か運動の効果を与えてあげたいという思いから、電気刺激の研究をしています。痛みは全くありません。装着すると、大臀筋から脚の筋肉、踵の筋肉、全部動きます。
 糖尿病の患者さんで、特にひざが痛い人は運動ができないので、電気刺激を行いました。食事をしてそのままにしていると血糖値が上がるのですが、20分電気刺激を行うと、血糖値がきれいに下がります。前述のBDNFについて、2型糖尿病の患者さんに3カ月間自宅で電気刺激をやっていただきました。すると、BDNFが確実に統計的に有意に増えます。何もしなかった方の患者さんは低下します。つまり、骨格筋の電気刺激で、糖代謝とか筋肥大、認知機能の改善の可能性が十分出てきたのです。
 このように、高齢者、とくに運動するのが難しい要支援、要介護の方にも電気刺激を用いることで、自発的な運動によるものと同等、あるいはそれ以上のエネルギー代謝、筋肥大が起こるということで、世界的に今、骨格筋電気刺激が注目されています。運動の弱者の方々にも電気刺激で元気になってもらおうという流れは世界中でも起こっていますので、ぜひ私も貢献できればと思っております。
 
【菊池】私、これから最終の新幹線で東京に帰ろうと思いますが、新大阪駅でエスカレーターを使わないで階段を小走りに上がろうと考えておりました。森谷先生ありがとうございました。
 
編集後記にかえて 菊池夏樹
 
黙々とトレーニングをする事に快感を得られる人は別だが、一般的に、それでは三日坊主に成り易い。トレーニングは半永久的に続けなければならないのだ。だから辛い事は避けた方がよい。特に高齢者は、楽しんでできる方がいい。横断歩道の信号が点滅する前に渡りきるとか、白線を踏まずに渡ってみるとか、エレベーターを使わないとか、またダンスをするとか。楽器の心得のある人は、皆で集まって演奏するだけでも筋肉を使える。