情報素材料理会<第105回> 

疫学とAIの
共創への期待



講師:中山 健夫

京都大学大学院医学研究科
社会健康医学系専攻長
健康情報学分野教授
エビデンスベーストヘルスケア協議会 理事長
 

 今、医学の世界では、AIを活用することで医療の可能性が大きく広がるのではないかと注目が集まっています。そして、このAIの医療への応用には、これまでの疫学の豊かな研究成果と知見をAIに学ばせることが欠かせないといわれています。今回は、その疫学とこれからのAIとの共創について、疫学を専門とする当協議会理事長・中山健夫が語ります。
 

もし、家族ががんだと言われたら治療法をどうやって選びますか?

 まず、突然ですが、もし、みなさんのご家族ががんだと言われたらどうされます? 嫌な話かもしれませんが、ちょっとイメージしてみてください。
 医者には「治療法は、放射線または薬です」と言われました。
 では、あなたはどちらを選びますか?
 ちょっと無茶ぶりかな・・・。もちろん、この問いに正解というものはありません。でも、頭が真っ白になっている中で、突然、非常に厳しい決断を求められている。誰だって、困り果てます。せめて何か判断のための情報が欲しいですよね。
 そこで、いろいろと探すと、今時は臨床研究の情報がネットで見つけられる時もあります。例えば次の表のようなそれぞれの治療を受けた10人の人達の、5年後生きているか生きてないかのデータ。放射線の場合は10人のうち7人生きていました。薬の場合は8人生きていました。研究の言葉で語ると、放射線で亡くなる絶対リスクは3/10、薬は2/10です。ですから、この患者さんに対しては、表のように薬の治療のほうが放射線の治療よりも5年で死亡するリスクを相対的に2/3に減らすことができると言えそうです。じゃ、薬のほうがよさそうだな、と。
 でも、これだと、実はまだモヤモヤしてますよね。だって、たったの10人ずつのデータの話です。こんな少ない数でほんとに信じていいの? ということになります。

 
 

統計学的検定で見えてくる治療法の有効性の差

 これを見分けるためには、統計的な検定をすることで、偶然かどうかが分かります。普通、統計学的には結果の数値Pが0.05よりも小さければ、この2つには差がある可能性があると考えていいのですが、10人の例だとPは0.61。ということは、偶然起こった結果である可能性は否定できないわけです。こういう時に研究者はどう言うかというと、どのデータでもないよりはましですが、この結果は偶然かもしれないので薬の有効性は私達には確信が持てない、となります。

 じゃあ今度は患者数を増やして1000人ずつのデータになりました。実はみんな100倍しただけなので、リスクの値は同じです。でも統計的な検定をしたら、この表のようにPが0.001より小さい。ですから、これは同じではなくて、違う可能性が高い。こうなってくると私達研究者は、この結果は偶然ではなさそうだということを言えます。
 では、みなさん、次はどちらを選びますか?
 たぶん放射線を選ぶ人より薬を選ぶ人のほうが多いでしょうね。しかし、そうは言っても、実はまだまだ不確実性はたくさん残っているのです。
 たとえば、このデータだけでは、患者さんの害や負担はそもそも分からない。これは、ちゃんと生きられるかという、治療そのものの益の話なので、治療の副作用といった部分はまったく触れておらず、そこは不確実なわけです。
 医療者のほうはちょっとでも長く生きられたらそれがいい治療だと基本的に思っていますが、患者さんにとってみれば、ちょっといい益があるのと、すごく副作用が強いのとどっちが大事かというと、もしかしたら副作用という害を避けたいかもしれませんね。辛い治療はしてもらいたくないということもあり得るでしょう。先ほどのデータだけでは、そうした人の価値観は分かりません。
 
 

疫学は病気の原因や因果を探るだけでなくそのコントロールまで考える科学

 医師にも患者にもいろいろな価値観がある中で、どんな治療がいいのかというようなことを、データに基づいて科学的に明らかにしようとしているのが、疫学という人間を相手にした医学研究です。疫学は、「人間を集団として見る」ということが特徴的な学問ですが、他の多くの医学研究とは少し違い、実験動物とは違う人間を正確に捉えることができないので、なかなか成果が分かりにくい研究でした。
 しかし、疫学はこの20年くらいでかなり注目されてきています。疫学は病気の原因や因果関係を探る科学だということに加え、最近の国際的な定義としては疫学の知恵を使って、病気をコントロールする。良くないことが起こらないようにコントロールしよう、というところまできています。ここでは、何か原因を究明しようということだけではなくて、究明してそれをちゃんと使おうということまでを言っている。これは科学の方法の定義としてとても興味深いものです。
 また、特に最近は疫学の世界でも、ビックデータの活用が進んで、精度が上がってきています。今後は当然、ビックデータ+AIという話まで進むと思うのですが、とはいえデータがたくさんあるということだけが重要なのではありません。まずはどんなデータをどう集めるか、集まったデータをどう分析するか、それによって、どんなエビデンスが作られるかが、医療におけるビッグデータ集積の価値でしょう。さらには、私は、単にエビデンスを作ってそれで終わりではなく、意思決定のためのエビデンスが用意され、最終的には、それをもとに、意思決定をどういうふうに考えるかという話だと思っています。そして、この意思決定を支援してくれるのがAIの役割だろう、というのが私の予想であり、期待です。
 
 

EBMのパイオニア達が唱えた真の定義とは

 ところで、エビデンス・ベースト・メディスン、EBMという言葉を聞かれた人はいらっしゃいますか? 知っているよと言われる人も多いと思います。一般的には科学的な根拠、エビデンスを重視して行う医療という風に語られていますが、実はEBMのパイオニア達は一言もそうは言っていないのですね。
 じゃあ彼らは何と言っているかというと、EBMというのはインテグレーション、つまり統合なんだと話されています。何を統合するかというと、3つあるのですね。
 1つめは、人間集団から疫学的手法で得られた一般論。一般論としてはこちらがいいですよという話ですね。それをどれだけ確信できるものにしていけるかというのがエビデンス作りで研究者ががんばるところです。でも、研究になりにくい領域もあります。先ほどお話したように人間相手の研究は、動物相手の場合よりも難しくて、できない場合のほうがずっと多いですから。
 2つめは、そういうことから、医療者の個々の経験の積み重ねに基づく熟練・技能・直観的判断力ということになります。研究によるエビデンスだけでは、もちろん医療のすべては網羅できませんから。EBMより前は、この経験が何より大事とされていました。多少大事にされ過ぎていたきらいもあるのですが、EBMが誤解されて広まってしまった今は、これが逆に軽視されている。EBMの時代でも経験値はすごく大事です。全部が研究になるわけがないのですよ、人間のやっていることは。
 3つめは、何よりも患者さんの希望、価値観。当然ですよね。
 これらの3つのことをあわせて、意思決定をせよというのがEBMの本来のメッセージ。パイオニア達は、一言も研究によるエビデンスだけで医療の意思決定をせよとは言っていないのです。
 それからもう1つ、別の視点から重視されているのが状況とか環境というふうに訳されるcircumstancesです。circumstancesというのは、中身は2つで、それぞれの個々の患者さんの臨床状況と、臨床の医療が行われる場です。
 同じ患者さんって1人もいないよねという話と、もう1つはその患者さんのいる物理的な環境。そこに置かれた時に求められているもの、できるものによって、適切な振る舞いがあるわけですよね。意思決定を考える上でこれらの言葉はすごく示唆的なので紹介しておきます。
 研究によるエビデンスは、医療をするための1つのパーツに過ぎません。それは大事なのだけど、他のものもあわせて総合判断しなければいけないのですね。
 “Evidence does not make decisions, people do.”
 どんなにいい研究によるエビデンスが出たからと言って、それだけで自動的に意思決定ができるわけはない。人間が全体を考えてやらなければいけないのです。
 
 

医者を支援するAIと患者を支援するAIの実現に向けて

 さて、ここまでは疫学の話でしたが、次は私が疫学の側から見て、AIに期待することをお話しましょう。
 AIは、「ディープラーニング」という手法が生まれてから、急激に実用的なものになったと言われているのですが、そこで一番大切なのは、最初の段階で何を「深く学ぶ」かということではないかと思います。
 医学では、特に命に関わる話なので、学ぶべき基本のデータとその方向性を間違えないことがとても大切です。中でも、疫学は、これまで医療や疾病に関わる様々な研究を広範囲に蓄積してきた学問なので、その成果をしっかりAI君に伝えることができれば、きっと医学や医療に対して様々な貢献をしてくれるでしょう。
 ただし、まずは、AI君には変なふうにものを覚えちゃいけないよ、と言いたいですね。これまでも様々な総合的な判断を人間が一生懸命やってきたんだということ、そして人間の蓄積してきた多くの知見を学ぶことで次のステップに進んでいけるんだ、ということを、それこそ、ディープラーニング、深く学んでもらいたいと思っています。そしてAIを育てる人間の側も、そこのところを間違えないように伝えてほしいと思います。人間とAIが共に進んでいけるような関係でありたいですね。
 私は、AIは、人間のできることを広げて助けてくれるものだと期待しています。患者さんと医者がいたとしたら、患者さんだけではなく、医者のほうもAIに助けてほしい。どうしたらいいのかねえ、今まで似たような患者さんいなかったかねえ、どんなことをしたらどんなことがあったのかねえということを、瞬時に適切に教えてくれたら本当にありがたいです。
 患者さんのほうも、医者からこんなこと言われちゃったんだけれども、どうしたらいいのかねえって相談できるようなAIがあるといいなって。自分のことを知ってくれている、良き相談相手となってくれたらいいかなあと思っています。
 さっき、エビデンスはすごく大事だけど、エビデンスがあったら自動的に意思決定できちゃう、というような単純なことじゃないぞ、という話をしました。これは実はAIも同じ。
 “AI does not make a decision, people do.”
 AIが決断を下すのではない。人間が最終的に決めるのだという話なんですね。
 最近は、どんどんAIが賢くなって、ついにはAIにみんな乗っ取られてしまうなんてことを言う傾向があるけれども、私は、決してそんなことはありえないと思います。
 ただし、人間がAIに意思決定を委ねる、という意思決定をしない限りは、ですね。
 また、これからは疫学とAIが共創して、よりよい社会を創りあげていくことになると思っているので、この協議会で、みなさんと一緒にその未来を構築していけるといいなと考えているところです。
 
 

編集後記にかえて
菊池夏樹
高松市菊池寛記念館名誉館長
(株)文藝春秋社友

 
 もう23年前に、ある有名な漫画家と話し合ったことがあります。それは「人間が神の領域に入った時に何が起こるか?」ということでした。医療の進化の早さは凄まじく、医学は、神の領域に入る所まで来ているのかも知れません。ということは、医学とか文学とか神学とかの垣根を取っ払い、新たな人間学が必要な時期に入ったと見るべきでしょう。人間であるための正しいデータを覚えさせたAIの助けを借りて、人間を知りながらの医療の進化が望まれる時です。