おせっかい倶楽部
 

情報素材料理会<第84回> 

AIは医療と健康をどう変えるか?


 

講師:中山 健夫 先生

京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻長 健康情報学分野教授、NPO法人EBH推進協議会理事長



 

講師:小林 誠士 氏

日本アイ・ビー・エム株式会社 ワトソン事業部ヘルスケア事業開発部長
 

 

 

司会:菊池 夏樹 氏

高松市菊池寛記念館名誉館長
(株)文藝春秋社友
日本文藝家協会会員 日本ペンクラブ会員
ディジタルアーカイブズ(株)取締役

IBM社の「Watson」が白血病患者の診断と治療に貢献したと話題になりました。健康・医療の世界でAIにできることは何か?これから何ができるようになるのか? 課題は?  EBH推進協議会理事長で京都大学大学院教授の中山健夫先生と、日本アイ・ビー・エム株式会社ワトソン事業部ヘルスケア事業開発部長の小林誠士氏にお話いただきます。

 
【菊池】「AI」という言葉を最近目にしない日はありません。今回のテーマは「AI」が医療や健康をどう変えていくのか?です。中山先生からお話をいただきます。
 
データ・情報・知識
 
【中山】「AI」が医療、健康とどうつながっていくのか? 非常に興味深いテーマです。そこで、まず「データ」「情報」「知識」の違いについてお話しましょう。「あなたは160」と言われたとします。でもそれだけでは「?」ですね。では「あなたの血圧は160」と言われた場合は? それでも「?」かも知れません。しかし、日本では血圧の基準値が140/90で、上の値が140を超えた場合は医者に行くように勧められると知っていれば、「まずいかもな」「医者に行こうかな」と考えますね。つまり、血圧160という「データ」を「知識」に照らして、まずいな、医者に行った方が良いかなという「情報」を得ることができるわけです。与えられたデータから知識にもとづいて意味を解釈できたもの、それが「情報」です。得られた「情報」が系統化されてくるとそれが「知識」となります。「知識」が豊かになれば、同じデータでも読み取れる「情報」がさらに深くなる。たとえば、「血圧は測る度に違う」という別の知識があれば、一度だけで判断せず、何日か測って平均値を見るのが良さそうだ、という情報が得られるわけです。
 私たちは、「データ」「知識」「情報」を常に行き来しながら、「知識」と「情報」をエビデンス(根拠)として、何らかの意志決定を行っています。「ビッグデータ」がもてはやされますが、それは「ビッグ情報」ではありません。どれほどビッグでも、きちんとした知識で適切に解釈されないと役立つ「情報」にはならないし、良い意志決定にはつながらないんですね。
 
ビッグデータとAI
 
 昨年、ビッグデータとAIによる診断支援が話題になりました。東京大学医科学研究所で、診断が困難だった白血病の患者さんの診断をWatson君が迅速に行い、それに応じた治療をしたことで患者さんが回復に向かったと紹介されました。しかしこれは、AIというより、大容量のメモリーに人間が覚えることのできない大量の文献と遺伝子解析結果を覚えさせて、患者さんの検査結果を「高速に照合」させただけなのではないか? AIとは、エキスパートが行う高度な判断のプロセスを学習し、エキスパートに代わって判断を行い、実際にエキスパートが行った判断との答え合わせを繰り返すことで、その判断の精度を高めていくものではないのか? それが私の正直な感想でした。
 

 
 私たちは今、臨床系学会の方々と「診療ガイドライン」というものを作成して、臨床上のより良い判断に役立てようとしています。「診療ガイドライン」というのは、医療行為の研究成果をまとめて、最善の治療効果や患者アウトカムをめざした推奨を示すもので、患者さんと医療者の意志決定を支援する文書です。作成にあたっては、偏りのない、医学研究にもとづいた医療行為を探すために、複数の専門家が複数の研究論文を評価してまとめていきます。システマティックレビューという手法ですが、実はこれが大変です。忙しい医療者が、関係する研究を探し出して英語の論文を全部チェックし、その論文の信頼性や治療法の効果を判断する。一つの論文に、およそ1~2時間はかかります。その論文にどれだけ落とし穴があるのか、この作業をAIが助けてくれないだろうか? そう考えていたのですが、実はパイロット的な方法が提案されていました。論文をWEBサイトにドロップすると、研究論文のバイアスの可能性を10秒くらいで判定してくれるのです。まだまだ試行段階ですが、手助けには十分になりそうです。AIがすべてを行うのではなく、それによって人間の負担が8割減るくらいのイメージでしょうか。そうすれば医療者は、節約された時間を別の大切なことに使えるようになります。ですので、こうした領域でのAIの役割に、私は大いに期待しています。
 

 
【菊池】「AI」とは何か?悩みが深まっております。続いて日本IBMの小林誠士さんから、IBM社の「AI」についてお話をいただきます。
 
Watsonは「AI」か?
 
【小林】日本IBMの小林誠士と申します。私たちが提供させていただいているWatson、もともとは「AI」としてではなく、コグニティブ・コンピューティングという言葉で紹介しておりました。たとえば検索エンジンを使うとき、結果を引き出すために、コンピューターが理解しそうなキーワードを試行錯誤しながら入力する、という流れがありますね。そうした、私たちがコンピューターに合わせるやり方ではなく、普通の会話で、自然に対話する中で情報のやりとりができる世界、それを目指したのがWatsonです。今はWatsonを「AI」として紹介させて頂いていますが、実は、いわゆるArtificial Intelligence(人工知能)という意味ではなく、Augmented Intelligence(拡張/増幅:知能)という意味で使っています。そこには、人間に置き換わって何かをする、まったく新しいものを生み出すというよりも、人間のこれまでの知識を学習し、作業を効率化、正確化していくことで、人間の意志決定を支援していく、という意味が込められています。
 
クイズから医療・健康へ
 
 Watsonにつながる基礎研究は1980年代から始まりました。かつてチェスの世界チャンピオンに勝利したことが話題になりましたが、これは、ルールが厳密に決められている中で、可能な手をしらみつぶしに計算して最適な解を出すという世界でした、Watsonも2011年に人気クイズ番組で勝利したことで有名になりましたが、チェスの場合とは意味が異なります。クイズでは、人間とのやりとりと同じで何を聞かれるか分かりません。言葉も文脈から理解しなくてはならない。質問を文脈から理解して回答するために開発されたシステム、それがWatsonです。その応用分野として最も注目されたのが医療・健康でした。医療機関との協業を重ね、2015年、Watson Healthが立ち上がりました。目指す方向性は2つあります。1つは、入力に対して答えを返す、意志決定を支援していくアプリケーションを開発すること。2つめは、意志決定に必要となる医療・健康のデータの基盤を整えることです。
 
意志決定を支援する
 

 
 アプリケーションとしてまずご紹介したいのが、がん専門医の診断支援システムです。メモリアル・スローン・ケタリング病院様との共同事業で、肺がん、乳がん、直腸がん、結腸がん、胃がんをターゲットに、関連文献とNCCAガイドライン、治療履歴を学習させ、医師などからのフィードバックを受けながらトレーニングを続けています。電子カルテを解析し、症状や家族歴、既往歴、検査異常値をハイライト表示して見落としを防ぐ、カルテと診断事例の解析から、治療オプションを根拠も含めて提示します。正解を出すと言うより、医師の記憶を補完する、専門外の他のエキスパートの事例を参照可能にすることで、意志決定を支援し、治療の効率化と高度化を進めようとする試みです。
 

 
 先ほどお話がありました、東京大学医科学研究所との研究についてもご紹介しましょう。がん細胞のゲノム情報から変異箇所を特定し、関連情報から有効な治療法の可能性を提示する研究です。変異箇所だけでも数千出てきますし、変異と疾病の関係性を見出すのはさらに大変です。論文も膨大で、人間だけでは数週間かかる作業です。この作業をWatsonにまかせると10分くらいで候補が提示されます。有効性の高い薬を確率的に抽出し、認可を受けている薬、治験中の薬、そしてオフラベルという、市場に出ているがその病気のために出されたものではない、しかし効果があるかもしれないと思われる薬までを提示します。先の二次性白血病の患者さんに対して有効だった治療薬ですが、最初から上位の候補として提示されたわけではありません。一般的に有効とされる薬がやはり候補の上位にきます。しかし、確率的には下の方でも、こんな見方もあるというオプションを提示できれば、新たな治療方針への医師の気づきも生まれやすくなるという事例かと思います。
 こうした臨床分野の他にも、医学研究、健康増進分野などで様々なアプリケーションの開発を進めています。
 
Watson Healthの情報基盤
 
 私たちが目指す方向性の2つめ、データの基盤整備についてもお話させて頂きます。この2年間、買収等を通じて医療・健康の大規模データの整備を進めてまいりました。電子カルテ、検査情報、診断、クレーム、医療画像など米国人の医療・健康データを3億2千万件保有しています。この規模のデータがあれば、特定の薬が使われている地域や年齢層、同じ病気での薬の処方の違いなど、医療の分布や質の違いが見えてきます。気象データも重要な情報基盤と位置づけて、気象情報を配信する企業を買収いたしました。気候のような外部要因と自分の体の情報を掛け合わせることで、何らかの意志決定を支援できるのではないか。また、私たちの情報基盤は主に米国人のデータに基づくものなので、こうした基盤を日本においても活用できないか?それがこれからの課題であると考えています。
 
【菊池】ありがとうございました。中山先生、最後に一言お願いいたします。
 
AI時代の医療者
 
【中山】AI脅威論ということがいわれます。しかし私は、AIと協力して、患者さんのために一層力を発揮していける医療者を目指したいし、若い世代にはなおさらそうなってほしいと思うのです。この患者さんにはどうするのが良いかを、Watson君と相談しながら一生懸命考えられるような医療者が増えてほしい。医療者の、そして患者さんの相談相手になってくれるAI。すぐれた専門家やエキスパートは、患者さんの相談に柔軟に対応し、個々のニーズに適切な情報を提供しながら、一緒になって患者さんの意志決定を支援します。そんなパートナーになってくれるAIが出てきてくれることを、ぜひ期待したいと思います。
 
【菊池】「AI」とは何か? Watson君に、あらためて質問してみたいと思います。中山先生、小林さん、ありがとうございました。